秩序界だ、というのは、独自の体系をなすことが出来る(尤もそれは存在[#「存在」に傍点]の世界の体系ではないが。)今物質界乃至存在界が独自の体系をなすことは自明だろう。処でこの二つの独自の体系が並べられたとすると、簡単に一つの存在と一つの意味とを対応させて済ますことは出来なくなるので、意味は更に意味同志、存在は云うまでもなく存在同志、の間に、意味的連関や因果的交互作用的関係を有っている。――この二つの体系を総合することは、二つを簡単に加え合わせるようには行かぬ。二つを掛け合わせなくてはならぬ。と云うのはつまり、存在の体系に意味の世界を附加[#「附加」に傍点]することによって、存在の体系をば意味の世界を含んだ[#「含んだ」に傍点]体系にまで、拡張的に[#「拡張的に」に傍点]組織し直さねばならぬということだ。個人から自分なるものへの橋渡しをするためには、そういう論理的工作が要るのである。――モラルとはこの論理的工作の内に、必然的に出て来るものだ。
私は少し長々しく、認識論めいた議論を試みたが、之は全く、自分というあの一見判り切った日常観念を、少しばかり而も常識的に反省して見る必要があったからだ。でその結果は、存在の体系を、どうすれば意味の世界をも含んだ体系に、拡張出来るかという、論理上の工夫を考えねばならぬということに帰着する。
存在の体系の諸規定を云い表わす諸範疇は、実験的・技術的な検証性を有った処の、技術的な科学的概念[#「科学的概念」に傍点]である。だが之だけでは意味の世界を含んだ体系を築くカテゴリーにはなれない。そこでこの科学的範疇を、意味の世界との連絡と云い表わし得るようなカテゴリーにまで、改造しなければならぬ。それには他の手段はないので、実験的技術的に検証し得るというこの科学的範疇の性質を、或る点で制限し、比較的且つ一応そうした検証的実証性から独立に見えるような性質を、外被のように之にかぶせる他はないだろう。実験的科学的機能だけではなく、そういうものから一応比較的に独立であるように見える機能をば、この実験的科学的機能という肉体の上に、被服として纏わらせねばならぬ。こうしてこの科学的概念[#「科学的概念」に傍点]は、様々のニュアンスを得、一種のフレクシビリティーを得、例のギャップを飛躍する自由を得るのである。この機能は空想力(想像力・構想力)とか象徴力とか
前へ
次へ
全77ページ中71ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング