に傍点]なるものは科学とは一つでない。従来、科学的精神の一つの型として、この応用を軽蔑するという精神もあったのである。
 この種の穿鑿にうるさくなった常識は、科学と技術とは要するに根本が一つか共通かであるのだから、と云うかも知れない。併し科学は(正にギリシア以来)認識を目的とするものと一般に考えられている。処が技術の目標は云う迄もなく実用的な生産である。仮に「科学する心」というものがあると仮定すれば、そういう心の心持ちは容易に「技術する心」(?)とは一つにならないに相違ない。根本が一つだとも共通だとも、簡単には云えないことになる。ここに伏在する疑問は、科学教育について実際的なイデーを決めようとでもすれば、忽ち暴露することだ。
 科学と技術との連関を分析する必要を最も手近かに感じて来たのは、一群の科学史家であった。彼等の問題の出し方を大雑把に云って了えば、科学の発達は科学自身に原因するか、それとも技術の方向にその原因が求められねばならぬか、というのであった。或いは、科学の発達があってその結果技術の発達が可能となるのか、それともその逆に、技術などの発達の結果科学も亦発達すると考えるべきか、
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