うと、それは立派にモラル=道徳の問題だからである。収賄や贈賄が悪いとか、検事の人権蹂躙が人道に反するとかいう意味ではなく、金融資本主義下における金融資本家やその番頭達が、その資本の番犬としての技術的使命を果すためには、如何にブルジョア道徳そのものにショックを与えないではおかないか、またそれを無理にも処罰しようとするブルジョア法律自身が又、如何にこの同じブルジョア道徳に同じくショックを与えずにはおかないか、というような、この社会における活動的支配者のモラルの矛盾に私は興味をひかれるからだ。
 堂々たるブルジョアや要路の大官が法廷で泣涕したりするだけでも、単にいくじがないとか態を見ろとかいっては済まされない問題を含んでいるので、正に彼等のやがて又この支配者社会の、モラルの道徳的断層を法廷の舞台にさらしたものにほかならないのである。私はまだ和田氏の『人絹』を読[#「読」は底本では「続」と誤記]んでいないから、この作品そのものについては何もいえないが、少なくとも、こういう種類[#「種類」に傍点]の作品が示唆するところの、社会現象と文学的モラルとの不可欠の連関の要点を積極的にハッキリつかもうとし
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