ない純文学的精神は、何かうら切られたような失望を吾々に与えるのだ。――社会人は、社会現象の論理と心理に立ち入った文学的[#「文学的」に傍点]検討、出来るならその文学的[#「文学的」に傍点]解決、を文学者から期待している。社会現象のモラルを作品や評論家から聞きたいのだ。しかも何も修身的な課題である婦人の問題や家庭の問題や或いは転向問題ばかりがモラルではない、社会そのものの動きが、文学的には(理論的には別だが)道徳的[#「道徳的」に傍点]本質のものなのだ。
 さてこう考えて来ると、社会時評乃至社会評論なるもののもつ文学的な本質は大体見当がつくだろうと思う。社会時評がただのニュースや報告と異る点は、社会現象の裏に、単に新聞常識的な皮相面を見出すだけではなく、この皮相面を克明にはぎ取ってそこに文学的な道徳的脈絡を発見するということにある。個々のまたは一群の経済的・政治的・軍事的・市井的・また文化的・社会現象を、その論理と心理とを通じて、モーラリスト的視角から分解結合することが、社会時評の文学的本質なのである。これは常識的道徳がもつ既成観念や固定観念や願望的な理想や、そうした社会的迷信を破って、
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