リアリスティックな視角に立つモラルを摘出することだ。社会時評のリアリズムがニュースや報道のリアリズムと異るのは、後者が事件の背後に特種を探すに反して、前者は事件の背後にモラル=道徳を見ることだ。社会時評はこの意味で一種の風俗文学[#「一種の風俗文学」に傍点]だと云ってもいいだろう。
尤も文学というと第一に小説という様式が考えられがちだが、それから見ると社会時評が文学的本質だというのは如何にも唐突のように聞えるだろう。だがエッセイも亦歴史的に重大な文学の様式であり、特にクリティシズム(批評)文学の一つをもなすものであることを思い出すなら、社会時評という一種のクリティカル・エッセイ[#「クリティカル・エッセイ」の「・」を除く部分に傍点]を文学的仕事にまで深め又は高めるということは、実は大した思いつきでもないのだ。前例は文学史上沢山あるだろう。
普通[#「普通」に傍点]の小説の特色の一つはフィクションにあるが(歴史小説の類は別に考えるとして)、エッセイの特色は之に反してそのアクチュアリティにあるだろう。いずれも夫々のリアリティーを有つのではあるが、エッセイが身辺的なもの(之が多分今日の「
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