随筆」だろう)であれば、リアリティーは個人的なアクチュアリティーであるのだが、エッセイが社会的なものであり、即ち社会時評であれば、リアリティーは社会的なアクチュアリティー、即ち社会現象に他ならぬというわけだ。
五[#「五」はゴシック体]
社会時評、夫は社会的アクチュアリティーをモラルと見るエッセイだが、このエッセイは随筆的な身辺エッセイではなくて、正に社会的風俗的なエッセイだ。そこから一つの規定が導かれるのであるというのは、このエッセイでは対象となる現実が有っているモラル、即ち心理と論理、の内、特に必ず論理を表面に持ち出さねばならぬという点である(モラル=道徳とは他でもない心理と論理との相乗積のようなものだ。そしてそれが社会的に現われたものが風俗なのだ)。なぜというに、社会に於ては心理よりも論理の方が前面に出て来るからだ。そこで社会時評はただの社会事象観に止まらずに、社会に対する時事的(アクチュアル)な評論・批評・批判[#「評論・批評・批判」の「・」を除く部分に傍点]としての社会時評になるわけで、そして之が(文学様式としての)クリティカル・エッセイに属さねばならぬ所以なので
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