ーマンの話題にもなる。省線や床屋での会話や議論の種にもなるのだ。この娯楽はすぐ様評判や批評にまで発展する種類のもので、実は社会人の誠実な社会的関心のごく無自覚な皮相面にほかならないのである。大衆性乃至通俗性(この言葉を使うのは随分と厄介な用意が必要だが)をもつべき文学(今のところ小説)が、だから一種の娯楽の意味を有つということは、文学の冒涜でも何でもなくて、文学が如何に社会人の社会的感覚に接着しこれに食い入っているものであるかを、或いはそうあるべきものであるかを、告げているにすぎないわけで、ただ社会人のこの社会的感覚そのものがごく皮相面にとどまる限りは、その文学は単なる娯楽の対象に止まるわけで、実際上からいってそれだけで新聞小説は充分多数の読者を有つことが出来るのだ。ただこのおなじ小説も、社会人の社会的感覚が自覚的な社会的関心にまで発展し、社会に対する誠実な省察にまで深度を増す時、やがて立派に文学的な対象物として要求される、というわけだ。
 これを別の言葉でいい表わせば、社会面に現われる新聞記者的「常識」は、連載小説などにおける文学者的「モラル」(これが最高の文学的モラルだといわぬが)
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