が流行っているかを、人に教えるのがその目的である。
だが人に流行を教えることは、善いことでも悪いことでもない。大事なことは、自分自身がこの流行を尊重するかしないかということだ。杏村自身はどうだったかは知らないが、所謂評論家や思想家や学者には、人に流行を教える積りで物を云っている内に、いつの間にか自分自身がその流行にムキになって了う性の人間が、非常に多いのである。
併し、自然にそういう結果になるのはまだいいとして、流行を知らないということが無上に恥かしいことであるかのように、流行を気にする文筆家の多いことは、気をつけなければならない事実である。こうした見識のないお洒落女のように小才かしい評論家が、特に、左翼から移行した作家や文芸批評家に多いということは(純文芸派は問題でない)、全く意外である。
彼等は、なぜ自分が転向すべき[#「すべき」に傍点]であるかを、なぜプロレタリア文学をやってはならない[#「やってはならない」に傍点]かを、なぜ敗北する義務があるか[#「義務があるか」に傍点]を、用もないのにワザワザ発表したがっているようである。自分が野暮に見えないために、時勢を知ることに於て
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