が基本的なものの一つでなくてはならぬ、ということなのである。――道徳は修身や倫理学や道徳科学や道徳哲学・実践哲学・其の他の題材なのではなかった、その場合の道徳という観念には必ず何等かの不備な点がある。と云うのはこういう倫理学的道徳はつまり階級道徳や支配道徳律のことであって、一つの論理上の暴力に帰着するだろうからだ。本当の道徳は正に文芸学のための範疇でなくてはならぬ、と私は考える。
文芸学上吾々の問題となるこの道徳は、実は大いに階級性をもっている。それは文学が階級性をもっていることだ。併しそれにも拘らず之は階級道徳[#「階級道徳」に傍点]ではない。階級的支配のための論理代用品としての「道徳」ではないからである。宗教は阿片だという。そのことは夫が一定の階級道徳だということだ。併し文学に於ける道徳はそうではない。之こそ本当の[#「本当の」に傍点]道徳だ。ここが宗教(之も一つの世界認識なのだが)と文学とを区別する根本標準となる。ブルジョア文学の遺産がプロレタリアによって尊重されるべきだと云われているにも拘らず、宗教(その本質が文学である場合は一応別として――事実多くの文化宗教は文学的遺産に過
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