ぎぬ)の遺産などは問題にされない理由も、之だ。
道徳という問題が、文学そのものの成立にとって、如何にのっぴきならぬキーポイントをなすかが、すでに略々見当がつくだろうと思う。ただの一時の文学現象についての話題ではないのだ。
四[#「四」はゴシック体]
文学的認識[#「文学的認識」に傍点]に於ける道徳の役割は、では何であるか。だがその説明は到底ここでは果せない。前に云った『道徳論』の本にでも譲る他ない。併し少なくとも次のような点は、それ程突飛な思想ではないだろう。
まず道徳(文学的カテゴリーとしての道徳)は自分[#「自分」に傍点](自己・自我・自覚=自意識)を離れてはない。対象が道徳的[#「的」に傍点]に(というのは即ち文学的[#「的」に傍点]にということになるわけだが)、問題になる場合は、無論その対象が作家又は作家に従った読者の眼を以て見られることだが、その際の作家は、彼が大衆的で普遍的な眼を持っていればいる程、益々彼はユニックな「自分」であり「私」である。
之は誰でも知り切っていることだが、そういう私・自分は、科学的認識に於ては口を利かない。口を利けば却って単にその認
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