ルこそは最近の時代が気にし出し、そして決定を急いでいるカテゴリーなのだ。
 だがこういうことは予め見逃してはならぬ。モラルという言葉で文芸意識や評論が運ばれるようになったのも、実は、単に文芸作品そのものがモラルの分量を殖やしたとかそれを意識的にやり出したとかいう理由からではなくて、文芸意識が全体として(ブルジョア文学さえも)その評論的な触手(アンテナ)をば延ばし始めたということに原因しているのである。文芸が評論的触手を延ばせば、モラルの観念は当然第一級の問題とならねばならぬからだ。
 そしてブルジョア文学(プロレタリア的文学に就いては勿論)のこの評論的触手――文学の思想性[#「思想性」に傍点]とか社会性[#「社会性」に傍点]とか論理[#「論理」に傍点]とか――を或る意味で用意したものは、正に曾ての「プロレタリア文学」とその或る意味での転向[#「転向」に傍点]又転向化[#「転向化」に傍点]とであった。プロレタリア文学の転向(?)によって却てブルジョア文学も亦初めて自分側の思想性・社会性・論理性を誘発された。之が所謂「モラル」の声である。
 だから云わば、このモラルの声の裏に、「プロレタリ
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