ア文学」とブルジョア文学とが、一応共通な掛声を聞いたのである。だからこそ例えば「文学界」式又「独立作家クラブ」(自由主義作家加入説派をとるとして)式な、混淆の形態も、そこに生じ得たわけである。

   二[#「二」はゴシック体]

 モラルの人気は、左翼文学とブルジョア文学との割合抽象的な一致点が夫だ、という処から発生している。そういう限り、と云うのはこの抽象的な一致点としてのモラルを具体的に選鉱し精錬しないでおく限り、モラルは一種の転向的モチーフになっていることを見落してはならぬ。事実モラルは日本では札つきのブルジョア文芸評論の用語として使われ始めた。
 尤もフランスの人道主義的コンミュニスト達の用語としては必ずしもそうではなかったのだが、併しフランス哲学文芸の伝統としてのモラリスト[#「モラリスト」に傍点]達は(モンテーニュから始まる――モンテーニュは関根秀雄教官のおかげで松本学議員から賞金を拝受した)、多くは時代々々の勤労大衆とは縁のない連中ばかりであった。多くの者は暇であり、気むずかしく、そして寛大であったり辛辣であったりした。
 モンテーニュの『エッセイ』はベーコンの『エッセ
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