筈なのに。
 今日の文学は社会の要求から見て、何と云っても独りよがりのそしりを免れない。特に評論的作品ではそれが眼にあまる。文壇的方言があまりにも整理されていないのだ。そこへ持って来て哲学の方も亦途方もなく太平楽だ。特に理論的に多少コクのありそうな哲学になればなるほどそうだ。この二つのものの間には組織的な連繋が存しない。偶々あれば思いつきや譬喩のような形のものしかない。こうした事情は主にフランス系と云っていい今日の代表的なブルジョア文学理論と、主にドイツ系と云ってよい日本のブルジョア哲学との間に、著しいのである。
 云うまでもなく文学と哲学との原則的な連絡を置き得たのは、日本でもマルクス主義乃至唯物論である。処が之は観点を、世界観と方法との連関という統一的な三角点にまで進めたに拘らず、まだモラルについての体系的なカテゴリーを決定する処にまで行っていなかった。そのくせひそかに、モラルに就いて考えたり云ったりするようになって来ていたのだが、夫がまだ理論の水準にまで達していないのである。――だからいずれにしてもモラルなるものは、理論的には抛りぱなしにされていたのである。処がそれにも拘らずモラ
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