スクリーンの上で見聞出来るということが、それだけの単純な判り切ったことが、映画固有の面白さを与えるらしい、という結論なのだ。映画の劇的機能や文学的価値については今論じることはひかえる。また観照者の立場を離れて映画製作の技術的・経済的・社会的・諸条件を省ることも私には今は不可能だ。これ等の観点を離れても、映画の大衆性を或る程度まで説明出来るように思う。
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 3 文芸と風俗

   一 文芸時評の改組[#この行はゴシック体]

 読者も御承知のように、最近、新聞雑誌その他における文学批評の形式というのが、やかましく議論されている。しばらく前には局外批評が善いか悪いか、それから又匿名批評が善いか、悪いか、がお喋りの流行(?)だった。全く「善いか悪いか」が喋られたので、「何であるか」が喋られたのではない。つまりそれほど子供らしくまた道徳屋的に喋られたわけだ。
 しかしこのお喋りはただのお喋りとして片づけることの出来ないものを持っていた。なぜなら問題は専ら文学がどうやったら広い世間へ出られるかということだ。或いは、いわば女子供向きの所謂文学なるものを、どうしたら世間の大人にとっても必
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