見出すことが出来るが、吾々青年が日本語で話す日本映画よりも寧ろ言葉のよく判らない外国映画の方を面白がるということは、吾々の生活意識の新しさ清新さが、この日本的現実に満足していないことを示すもので、日本の資本主義が英米仏独の先進資本主義への歩みに他ならず、やがてはソヴェート連邦的経済機構への必然を有っているという客観的事情が、若いジェネレーションへ知らず知らずに反映していることに他ならない。決して外国の監督や俳優の素質が高いばかりではなく、その高さが判るということが一つの道徳的向上の動向を示しているのだ。ただブルジョア映画そのものが現在の風俗の自己批判を敢えてなし得ないという宿命から、吾々はこうした映画から何等道徳批判の積極的な結果を期待出来ないまでだ。風俗を見ることは、之に泥《なず》むことに終る方が多いというのが、風俗感覚の芸術的弱点だ。夫は一般に感覚主義や又狭くエロティシズムの弱点ともなるものである。映画中の大衆映画とも云うべきチャンバラが受けるのは、一種のエロティシズムに帰着する舞踊的(或いは寧ろギムナスティックにぞくする)風俗感覚によると共に、之に基く封建的道徳・封建的風俗感覚へ
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