の一つの根拠があると云っていいだろう(人類の類意識は性的関係から発生する――Menschengeschlecht――Geschlecht)。性道徳への省察を、大衆はスクリーンを通じて行なっているのだ。
 誤解を防ぐために断わっておくが、私はエロティシズムや性道徳への省察だけが、映画の主な芸術的内容だなどと云うのではない。要は風俗が映画の芸術価値を成立させる根本条件だというのであり、その一つの必然的な契機としてエロティシズムが本質的なものとなるというのである。そしてこの風俗と雖も映画の芸術的価値を終局的に決定するものだなどと云うのではない。ただ映画の芸術価値はこの風俗という物的で感覚的で、肉体的で社会的な、具象性の地盤の上で初めて完了することが出来るというのであり、且又この風俗感覚そのものにすでに、丁度自然現象やニュースの実写がそうだったように、独自の芸術的価値が約束されているのだというのである。つまり映画では、風俗そのものが、その感覚的な表現にも拘らず、その故にこそ却ってモラルを有つのだ、というのである。
 映画による風俗感覚が大衆の道徳意識を芸術的に刺戟するということは、色々の証拠を
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