この分類をするにも、少なくともブルジョア諸国の夫々の国情の特色に従って、別々に工夫しなければならぬということは、先に云った観念論の宿命の致す処である。その結果今日の夫々の国家は大体その国にだけ伝統的な又支配的な哲学を持っているのであって、例えばイギリスの経験論とかドイツのドイツ的観念論とかフランスの直覚主義とかアメリカの実用主義とかがその例であるが、処が日本になると、単にそうした伝統的乃至支配的な哲学が無いばかりでなく、又全く別個に日本乃至東洋独特の哲学思想が醸成されている結果、観念論哲学の分布図は乱雑の極に達している。
 そればかりではない。現今の日本は、各種の哲学が陰に陽に、又知ると知らぬと関係なく、政治上の力を持つものとして、盛んに利用されているために、社会層の政治的役割の差に応じて、各種観念論の間の差は可なり踏み越え難い形になって残されている。又それだけではない。哲学らしい名のついた哲学は欧州から輸入されて以来まだ半世紀しか経たないため、日本のブルジョア社会の常識とこの「哲学」とのかけ隔てが大き過ぎて、哲学の紹介機関としての役割を引き受けた日本のアカデミー哲学は、殆んど全くブル
前へ 次へ
全451ページ中436ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング