意味に於ける神秘主義ではない。神秘主義でなければこそ、無の論理というような特有の論理を明示することが出来る。西田哲学は之を弁証法と呼んでいる。だがこの無的弁証法が結局同一哲学的神秘論理に帰着することは、田辺元博士等が批評する通りだろう。神秘主義でない西田哲学は、その論理に於て却って神秘説に帰着する。だが、だからと云って之を宗教的だと断定することは、卑俗な速断と云わねばならぬ。それは無の立場から物を考えるから禅的だというようなものだ。西田哲学が宗教的本質である所以は、まずその超物理的な世界解釈の体系[#「世界解釈の体系」に傍点]にあるのだ。その体系――論理が、初めて神秘説となり非合理主義を導いて来ると見るべきだ。だがそれにも拘らず、西田哲学が神学的である結果として、非合理主義に赴く点が、この際の要点なのである。
非合理主義の最も露骨な判りやすい構造に立つものは、各種の日本主義哲学である。すぐ後に述べるその特有な日本主義的調味を別にすれば、それが思想的特色がナチの通俗哲学と共通性をもっていることは、広く知られている。そこで必要なのは理論や分析、又は其にもとづく信念や確信ではなくて、理論や
前へ
次へ
全451ページ中422ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング