であった中世に於ては、神学という超物理的体系はなお合理性を持ち得たのである。近世に這入って神学の環境が合理化され、啓蒙されるに及んで、とに角神学としての神学は科学的には殆んど全く名目的なものとなった。
だが神学を名目的ならしめた社会における合理意識は、却ってブルジョア社会そのものの不合理性を発見せざるを得なくなった。この社会の不合理性をそのまま合理化するためには、再び不合理な思想の体系が必要となる。ここに神学のルネサンスが必要となる。現代に於けるブルジョア哲学の宗教化[#「宗教化」に傍点]は全くここに由来する。ファシズム・イデオロギーは資本制の矛盾を暴力的に無視する必要に迫られて発生したが、それが哲学体系の場合は、哲学の宗教化となるのである。ブルジョア哲学の宗教化は、ブルジョア哲学のファッショ化と直接なつながりがあり、資本支配のファッショ化と密接な連関があるのである。
かくて現代の観念論に於ける神学体系は、極めて非合理的な組織として現われざるを得ないわけだ。非合理主義がだからブルジョア哲学宗教化の第一の形態となる。これは各種の神秘主義となっても現われる。西田哲学は普通云われるような
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