ったから、結局に於て宗教の本質はその神学的組織に帰するということになる。宗教の本質をその既成のクルトゥスや情操に見ずに、専ら教義に見ようとするのは、悪合理主義的で又観念的な見地にぞくすると考える向きもあるだろうが、併し観念論と宗教との握手する周知の秘密を明るみに出すためには、ここが宗教の本質とならねばならぬ。
かくて観念論は本質に於て宗教的神学なのであり、宗教はそしてその本質に於てこの観念論的な神学なのである。文学現象も道徳現象もあるように、社会的に眼に見える形態を取った宗教現象のあることは云うまでもないけれども、又文学も道徳も思想であるように、宗教も一つの思想である。その限り元来宗教は哲学なのだ。そこでその思想の体系がなくてはならぬ。宗教的思想体系がロジカルな形をとったものが神学だ。そして夫が取りも直さず観念論の体系のことだったのである。その体系の完全に共通な一般特色を私は述べて来たわけだ。
だが神学が神学の形で栄えることの出来たのは、要するに中世である。という意味は、自然的知恵に於て暗黒であった中世(他の文化について暗黒だったのでは決してない)、即ち社会的環境それ自身が非合理的
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