」というものにまで、変って来たのである。観念も精神も意識も、この意味[#「意味」に傍点]というものに帰着する。意味とは事物の存在ではなくして事物の存在が吾々にとって持っている処の「意味」のことなのだ。勿論事物自身とそれが有つ意味そのものとは別であるが、実際は事物が意味を有つ[#「有つ」に傍点]という一つのリアリスティックな関係が大切なのだ。
 処が現代の観念論の最も進歩した形のものは、この意味を事物そのものから脱臼して、意味は意味同志、他の「意味」との関係に置かれることを、最も手際のよい哲学的理論と考える。それが解釈[#「解釈」に傍点]ということであり哲学的説明[#「哲学的説明」に傍点]ということであって、この際事物に当るものは、もはや事物ではなくて意味の所有者という資格を新しく与えられた「表現」というものになる。初め事物が意味を持っていたのに、今度は意味がその担い手であるものを生産して之を表現と名づける。表現はもはや事物ではない。茶碗は手工業によって粘土から造られたものであるなしに拘らず[#「あるなしに拘らず」に傍点]、とに角時代や民族や社会の生活の一表現[#「一表現」に傍点]に他な
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