干渉したり、之を統制したり、しようとする企ての内にあったのである。
 神のものは神に、カエサルのものはカエサルに返せ、ということから始まって、神のものはカエサルのものを支配することとなり、更に神のものがカエサルのものとなり、又逆にカエサルのものは神のものとなる。神の秩序のカエサルの秩序からの独立、神の国のカエサルの国からの独立、そして前者の支配、それから前者の唯一独立存在、理論の上でそういう事情になるのが、古来の形而上学の特色であった。今日の観念論はそういう形而上学の理論的に精練されたものに他ならない。

 現代の観念論は併し、観念論として他に特有の発達を持っている。従来の観念論は精神や観念を中心概念として持ち出した。その後の近世観念論は意識という根本概念を中心とした。実体論から認識論にまで進んだのである。だが認識論は一方に於て意識の歴史的内容に注目しなければならなくなり、意識は認識論からフィロロギー(文献学)主義の世界へと移された。歴史的観念論は歴史からフィロロギーを導き出したのである。かくて意識は今や論理学的乃至先験心理学的な意識から、文化論的な意味に於ける意識にまで、つまり「意味
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