いう実証的な検証を与えることも出来ないし、又与えようとも欲しないという処にあるのである。人間にぞくすべき主体のモメントが自然の内にすでにあるという、そういう主体的契機がなければ自然は哲学的なカテゴリーにならぬという。そういう自然が何等の実証性を有たないことは、宇宙開闢直後の自然に就いてでも考えて見ればすぐ判ることで、今日の自然科学的常識は、人間のいない自然がまず存在したことを実証する観察や実験に基いているからだ。
観念論はここに実証界と非実証界との不遠慮な峻別を想定している。と云うのは実証界に就いての理論の代りに、非実証界に就いての理論を以て、凡てを悉そうとするのである。之は単純なことであり、知れ切ったことのように思われているが、実は根柢的な意味のあることだ。古来の所謂形而上学に対する不信は、単に形而上的なカテゴリーで物を云うから起きたのではない。哲学が物理的・形而下的・なカテゴリーだけで物を云うことの出来ないのは当然であって、そこに哲学の深い真理もあるというものだが、併し不信を買った根拠は、実証界とは独立に非実証界の秩序を打ち建て、この天上の秩序を以て地上の秩序におきかえたり、之に
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