配力と平行した支配力を有つ哲学は、ブルジョア哲学であろうと封建的哲学であろうと、ブルジョア哲学にぞくさねばならぬわけだ。区別はその後に与えられねばならぬ。
 かくてブルジョア社会に於ける支配力と平行して支配的である哲学が、ブルジョア哲学というものの意味であるが、このブルジョア哲学の諸形態の多くが、今日観念論だというのである。
 観念論の規定は精神から自然を説明することにあると云われている。この際精神とか自然とかいう用語は、一定の哲学史的常識に沿うて用いられているわけで、この言葉を別の仕方で理解するなら、この規定は全くの無意味にさえなるのであるが、従って吾々は常にこの種の規定を、現在に生きている具体的なカテゴリーによって具体化してしか実用に供することは出来ないわけだ。だから之を以て直ちに観念論の形式的な定義だなどとは思いもよらぬので、吾々は現下の文化事情にそくして、観念論を歴史的に定義しなくてはならない。所で今日の観念論、つまりブルジョア哲学は、どういう規定をもっているか。
 古来からお誂え向きに出来た露骨な観念論=観念唯一主義や精神万能主義=などは極めて少なかった。露骨な観念万能主義を
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