来の単純な意味ではブルジョア哲学とはブルジョアジーのイデオロギーとしての哲学を指すのである。つまりブルジョアジー階級の哲学であるが、ブルジョアの階級哲学と云ってもいいだろう。ブルジョア階級出身の哲学者による哲学には限らぬ、又ブルジョア階級にぞくする哲学者の哲学には限らぬ。又ブルジョアジーの経済的・政治的・文化的・利害乃至意識を、無意識的又意識的に表現した哲学だけがブルジョア哲学でもない。なぜかというと、現代社会は勿論ブルジョアジーだけで出来上ってはいないが、それにも拘らず資本制の支配する社会なのである。だからブルジョアジーの経済的・政治的・文化的・な利害や意識を、必ずしも直接に云い表わしたものでなくても、それがブルジョア社会の支配的権力と観念的[#「観念的」に傍点]連絡がありさえしたら、やはりブルジョア哲学なのである。ブルジョア社会に於ける政治的支配と平行して支配的な哲学、という意味でも亦ブルジョア哲学の名は価値があるのだ。
 日本のブルジョア社会に於て支配的な政治的権力を持つものが、必ずしもブルジョアジー自身でないことは、勿論のことだ。或いは純粋なブルジョアジーは日本のブルジョアジー
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