れない、危い処だった。
 何年の何月何日に建直しが行なわれるという代りに、徐々に建直しが行なわれたり何かするのだったら、世の中は知らぬ間に大本教のものになって了ったかも知れない。而も世間の人間は夫が一向大本教的であるとは気がつかぬかも知れない。邪教や妖教的になったとは思わずに、ノルマルに宗教的になったと世間では考えるかも知れない。――処が幸にしてそこを大本教は覘うことを知らなかった。併しもう片づいたのだから少なくとも大本教に限っては、心配は無用だ。大本教は非常時主義[#「非常時主義」に傍点][#底本では「教は非常時」に傍点]から見事に落伍したのだから。
[#改頁]

 27 ブルジョア哲学とその宗教化的本質

 今日のブルジョア哲学は、いうまでもなく、殆んど総て観念論である。観念論という規定は言葉としては稍々マンネリズムに堕した感がなくはないが、併し今日夫が意味する内容に就いて云えば、極めて、生々とした概念だといわねばなるまい。それはあとに述べるとして、今日の所謂ブルジョア哲学というものが何を指すかも、問題でなくはないのである。この点を少しハッキリさせておかないといけないだろう。
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