のなのだ。衣服は着ている人間の経済的生活を象徴すると共に、その人間の階級と階級的思想とを象徴する。サンキュロットなどはそういう意味で注目すべき名称である。でとにかくそれ程衣裳というものはリアリティーを持っているのだ。衣裳の革命など、よく考えて見ると事実相当に革命的な象徴なのだ。それ程衣服は社会的リアリティーを持っている。
併しどうせカーライルはただの衣服に就いて語っているのではない。衣服とは彼にとっては人類のもつ象徴のようなものなのだ。処でこの衣服という象徴は一体人間について何を象徴しているのだろうか。夫が風俗[#「風俗」に傍点]だと私は思う。実はカーライルなどというドイツ式観念論者はどうでもよい。問題はまず風俗なるものの理論的な観念を得ることにあったのだ。
風俗生活をしていない人間は勿論世間には一人もいない。裸で外を歩く文明人がいないと同じである。だから風俗そのものは初手から或る大衆的[#「大衆的」に傍点]現象だ。そして風俗に就いての関心そのものも亦極めて大衆的であって、大衆的にお互いの間で容易に了解されるものなのだ。風俗画であるとか、風俗美人画であるとかいう、やや難解らしい言葉
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