して、天津教・島津治子教(?)・などいずれもそうだ。脱税問題で問題になりかけたり教義についてある種のうわさが流布されたりしている天理教を見てもよい。とに角「類似宗教」乃至類似宗教類似[#「類似」に傍点]の宗教は、惟神の道や国史的言論と密接な関係があるということを、あくまで重大視せねばならぬ。
 それであればこそ、却って初めて類似宗教は大体において不敬問題をひき起しやすいのである。島津治子女史一味の不敬は精神病学専門家の判決(?)によると、精神病に原因するそうで、一味の婦人達はにわかに松沢精神病院へ収容された。だが、幾人かの婦人達がある特定の不敬な妄想内容を共通にするということは、恐らく精神病学的に特別な興味をひくものだろう。精神病のこの種の社会的[#「社会的」に傍点]カテゴリーが発見されれば、今後の歴史家は歴史上における反動現象を記述するのに、大変重宝がることだろうと思う。と同時にこの調子で行くと、社会思想を取締るには、すべてこれを社会的宗教的な発狂と診断すればよいことになりそうで、安心がならぬわけであるが。
 島津治子教の不敬は病理現象だとして、天津教の如きは極めて手の込んだ国体的文
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