献学に基いているらしい。形式からいって、また内容からいって、この教えが不埒であることは、狩野享吉博士が鑑定し証明した通りだろうと思う。また大本教の不敬についてはあまりに有名だし「ひとのみち」その他のものといえども決してそういう羽目に陥らぬとは断言出来ぬ。
 だが問題は不敬宗教が決して、不逞[#「不逞」に傍点]な意図から出たのではなく、かえって宗教復興・精神作興・の意図そのものの側から出て来ているものだという点にある。不敬を生んだものはほかならぬ敬虔[#「敬虔」に傍点]の社会的強制そのものなのだ。――要するに類似宗教の一切の害悪は、現代における一切の宗教主義[#「宗教主義」に傍点]の単なるカリケチュアに帰するにほかならない。だから眼くそが鼻くそを笑うことは出来ない筈である。
[#改頁]

 26 社会不安と宗教

   一 日本の宗教復興は小市民的不安からか[#この行はゴシック体]

 この二三年来の日本の観念界は一種の「好況」に見舞われている。私は之を復興景気[#「復興景気」に傍点]と名づけるのが最もいいと考える。所謂宗教復興も亦この復興景気の一部分として、少なくとも世間のジャーナリス
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