すれば、それこそかえって思想をくさらせ[#「くさらせ」に傍点]て混迷に導くものなのである。内務省や文部省が思想の混迷を類似宗教発生の一原因と見なす場合、思想の進歩と代謝とを圧制することによってこれを混迷させたものも自分達なら、また次にこれを強権的に統制して重ねて混迷へ導くものも、自分達自身であることということを、あるいは自分でも知らないだろう。類似宗教征伐に最も熱心であるものが、あに計らんや類似宗教の温床であるということ、こういう一種の「インチキ」は政治事情の上ではいつもあることだ。暴動を鎮圧したと見せかけるのが暴徒の一味だったり何かするものである。
 最後に、宗教復興・精神作興・の声を利用して類似宗教が進出したという関係当局の見解は、最も天晴れといわねばならぬ。全くそうなのである。だから私は、当局の思想対策と類似宗教簇出とは、社会的に同じ本質の二つの現象だと云っているのである。特に注意されてしかるべき点は、類似宗教中、最もインチキな部類にぞくすると見なされて、社会で兎や角話題になるものの大部分が、何等かの神道に関係の深いものだということだ。大本教・ひとのみち(扶桑教にぞくす)を初めと
前へ 次へ
全451ページ中394ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング