それでは既成宗教を盛大にすれば類似宗教はそれだけ下火になるのだろうか。宗教団体取締法によって宗教を国家的に統制したり、また権威づけたり、学校に宗教情操教育を持ち込んだりすれば類似宗教は多少とも参るだろうか。いや一体そういうやり方でいわゆる既成宗教の気力とかが生じて来るだろうか。宗教の気力は一つの場合には政治的な反抗意識として、また他の場合には地上の権力的支配意識として、燃え立った歴史を持っているが、今日の日本の既成宗教にそういう気力は絶対に期待出来ない。
大衆の生活不安なるものの内には医療制度の社会的不備を含ませねばならぬ。非科学的治療を信頼することが迷信であるというような観念は、単に医学博士的なまたは自然科学の教授然たる迷信の観念にすぎぬ。類似宗教のインチキ治療が、医者の治療よりも安そうだと思えばこそ、同じ死ぬなら金のかからぬ治療方法で以て死のうという次第なのだ。だから迷信を極めて合理的に運用している場合もあるのだということは、注目に値いする。これが迷信的治療の極めて理想的な本質なのだ。迷信にさえ理性的本質を与えるということが、今日のいわゆる生活不安の悲しむべき作用なのである。
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