比を観衆が行なうからだ。実写的フィルムのない処にトリックというものは意味があろうとは思われぬ。一体吾々の日常の見聞なるものが多少ともモンタージュ的な手法のもので、旅行したり見物したりすることさえが一種のモンタージュに喩えていいかも知れない。
映画の芸術的価値には無論劇的又文学的なモメントがあることを私は忘れない。併しそういう価値が実現するためにも、まず第一に現実的リアリティーの再生という写実性が大切なのであり、この写実性そのもの[#「そのもの」に傍点]がすでに、映画に特有な芸術的価値を与えるというのである。自然的社会的な出来事に就いての実写や報道はしばらく別にしても、日常の自然現象についての実写的効果だけから云っても他の芸術様式ではただの匍匐的リアリズムやトリビアリズムやミミクリーに終るべきものが、映画では嶄然たる芸術的鋒鋩を現わすのだ。自然現象に関して云えば、スクリーンは世界の物性の好さ[#「物性の好さ」に傍点]を、物質の運動の怡しさを、人間に教える。こんなものは多くは吾々が日常見ているものだが、その好さはスクリーンに現われて初めて気がつく。すでに写真の好ましさはここにあり、グラフ
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