って、子《し》の所謂遠くより来る友や、ヘラルド(之は間諜でもある)、話し手、物語作家、其の他はこの本能の要求に対応して発生した。こういうジャーナリズムの文学的本質、つまりジャーナリズムと文学との本質的連関は、多くの文学批評家が教科書的にさえ解説している既知の知識だ。こういう「見聞き」、「見聞」、「見物」の要求を充たす何よりのものが、スクリーンなのだ。写し方さえ、誠実で着眼点が芸術的に真実ならば、ニュースや写実そのものが、そのままで人を考えさせるに充分だろう。吾々はここに世界を見聞きすることの怡びを有つのだ。この怡びは非常に哲学的なものだ。思想もここから養われるのではないか。――映画の実写的な無限な能力を、単に一通りの意味の実用性にばかり限定して考えることは誤りである。
 モンタージュや又トリックのことを考えて見ても、映画のこの実写的本質は却って裏打ちされるに他ならない。モンタージュが可能なのは云うまでもなく実写的な(と云うのはセザンヌの絵のようではなくてデューラーの絵のように空間一面に実物がつまっている)フィルムを材料としてなのであるし、トリックが効果を有つのは現実的リアリティーとの対
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