の現実的リアリティーたるニュースを、真理にまで高めることだろう。実写と云っても馬鹿にはならぬので、カメラの力によって開拓された自然の嘆美は確かに人類のリアリスティックな眼を肥やしたと云わねばなるまい。故寺田寅彦氏だったかと思うが、自然物は拡大して見れば見る程精緻であるに反して、人工物は拡大して見る程粗雑だというようなことを云っていたそうだが、こういう観察の誠意は今日では正にカメラの賜物なのだ。社会的な事件でも、或る広場に於ける大衆の行動で、大衆がどんな口つきをしどんな眼の色をしたかは、新聞のニュースなどでは伝えられないが、カメラはこうした文学的に大切な社会観察を与えて呉れる。
 絵や劇では到底こうした現実的リアリティーから来る人間的感動を与え得ないことは明らかだ。私は別に社会時評も一つの文学の大切な様式だということを主張したいのであるが、それはこの現実的リアリティー(芸術的リアリティーではない)そのもの[#「そのもの」に傍点]が持つ芸術価値を云いたいからだ。
 実際吾々が物見高いということは、ただの妄動性や野次馬性をばかり意味するのではない。人間のジャーナリスティックな本能に基くのであ
前へ 次へ
全451ページ中36ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング