の魅力はここにあるのだが、スクリーンはまず第一に動く写真だから、この現実的リアリティーが一層強調される。運動は物質が身を以て語る言葉だ。
 処で現実的リアリティー(アクチュアリティーと云ってもいい)は無論自然現象に限らぬ。社会現象も亦これにぞくする。どういうものが社会の現実的リアリティーか。普通の場合、風物や風俗が夫なのである。この風物や風俗を見せる[#「見せる」に傍点]ことが映画の第一条件なのである。見聞や見物とは多くこの風物や風俗を見聞することだった。事実、映画に於けるエキゾティシズム(実写的なる又材料上の)は吾々を著しく満足させるものの一つで、之も亦少なくとも映画に於ては必ずしも芸術の邪道とばかりは云えない。地球の地方々々の風俗(人情風俗と熟すのを注意せよ)を見ることは、まことに嬉しいことであるが、この風俗を形のままに見せるものはスクリーンでしかない。なぜただの風俗を見ることがそんなに価値があるか、芸術的に価値があるか、と云われるかも知れない。風俗とは何かを少し説明する必要があるように思う。
 ヘーゲルが法(即ち広義に於ける道徳)を法と道徳と人倫(習俗性)とに段階づけたことは有名
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