に、之とは異った説明をインチキに就いて加えておいたのである。
 現に今は、大本教がインチキだと世間から見られているのは、殆んど趣味や教養の問題としてではなくて、大本教の僣上沙汰にあるのである。つまり王仁三郎や大本教そのものの社会的比重に就いての測定にインチキがあるのである。処が前に云った通り、凡そインチキ性は全く合理的で理性的な存在理由があったのである。スウィフトの『ガリバー旅行記』やモリエールの『人間嫌い』やゴーゴリの『検察官』が当時の社会との関係に於て極めて合理的で理性的で従って現実的であったように、王仁三郎の「大本教」も合理的で理性的で現実的な社会的根拠を有っている一つの風刺的存在だ、と云ってもいいだろうと思う。
[#改頁]

 23 宗教のインチキ性とは何か

   一[#「一」はゴシック体]

 新興宗教乃至類似宗教と呼ばれるものが、今は、インチキであるとか邪教であるとか云われているけれども、特に新興宗教や類似宗教だけがインチキで邪教であるというわけではない。「インチキ宗教」に対する攻撃に興味と利益とを感じるものが既成宗教業者に少なくないらしいことは、この攻撃の仕方にとって、
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