や原始仏教そのものは承服出来ない。ただそれが今日から解釈され注釈されて初めて、価値を認め得るのだ。そうしない限りはインチキなものなのである。――彼等は文献学的文学的古典を至る処に求める。そういう意味に於て、古典的文献としての威厳のない宗教は凡てインチキなのだ。
 新興宗教は少なくとも高級なインテリの文化的[#「文化的」に傍点]要求を満足させない。大本教や天理教の聖書は文学的[#「文学的」に傍点]価値を持たぬ。まして「ひとのみち」のものをやだ。谷口雅春や友松円諦の書くものは多少文学的価値を有つかも知れぬ、だが夫は古典的[#「古典的」に傍点]価値を持たない。――彼等の宗教的情緒を満足させるものは寧ろキールケゴールであり、優れた「文献学者」だとかいうニーチェだろう。価値のあるのはこの歴史的な形而上学[#「歴史的な形而上学」に傍点](!)だ。之に較べれば「お振り替え」(ひとのみち)や「思念」(生長の家)や「真理商店」(真理運動)などは何と形而下的でインチキであることか。――だがこういう点から、或る宗教がインチキであるかないかを決めるのは、真理としての問題ではなくて趣味と教養との問題だ。私は初め
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