根本的な反省を要求する事柄であって、やり方の如何によっては、却って既成宗教の擁護に何より役に立つ結果になるだろう。そういう意図に於て類似宗教攻撃を行なおうとするのが、当局の方針であるように見えるし(宗教団体法案・宗教教育問題・大本教検挙・天理教検挙)、世間の常識的通念であるように見える。だが勿論、之は「インチキ宗教」攻撃の本当の形であってはならぬ。
「インチキ宗教」批評は一般的な宗教批判・反宗教運動の一環として初めて、科学的な意味があるので、そこまで行かない形態のものは、全く反対な効果をしか現実上持っていない。これは少し事情を省察する労を惜まない人は誰でも気のついていることで、今更私がここに持ち出すまでもないことだが、併しそれでは凡ての宗教がインチキであり所謂邪教であるかと問われると、簡単にそうだと云っては済ませぬものがあることを注意する必要がある。キリスト教や仏教が「ひとのみち」や大本教と同じ意味に於てインチキで邪教であるかというと、決してそうではないのだ。
 だから「インチキ宗教」とか邪教とか呼ばれる、その言葉の意味をもう少し分析してかからないと、所謂インチキ宗教の批判は勿論充分に
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