して教練(これは兵式体操が進化したもの)が実施されるようになって来た。
 それはとにかく、いわゆるスポーツという外国語で呼ばれる行動形式は、どうも、直接には富国強兵の手段にはならないらしいので、一頃スポーツは学校教育ではあまり優遇されなかったものである。ところが幸か不幸か、第一次大戦以来、「日本人」の思想も、世界の人間並に悪化して来たので、即ちマルクス主義が学生の「アヘン」(?)となり始めたので、社会における教育当事者は、これに対抗すべくスポーツを別なアヘンとして大安売りを始めたのである。そこで体育の価値が新しく再評価されてくるようになり、学問ばかりが教育の内容ではなく、体育と徳育とが知育に並べられることに決定された(但しこの体育というのは徳育のことに外ならないのだが)。これは極めて尤もなことで、秀才や美人と同じに、スポーツマンは天賦の資質に立脚しているわけで、女学校が色々の意味で、結局美人教育を必要とすると同じに、男の学校でもスポーツ教育が色々の点で大事なはずである。
 スポーツのアヘン性がこういう風に社会自身による思想対策の秘薬となったばかりではなく、財団による営業諸大学は、スポー
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