良い、健康感を覚えさせるものであるかということは、すぐ判る。
 だが、この甚だ結構なスポーツが、阿片的効果を現わすのは、第一に、それが耽溺という形で、例えば社会的関心とか実際生活の計画性とかから全く隔絶して、丁度四畳半にシケ込んだと全く同じに、逃避境を提供するようになった場合である。それは「文学中毒」や「哲学中毒」と少しも変らないので、昔の文学青年や哲学青年は煩悶や厭世で自殺したが、今日のスポーツマン(スポーツ青年)が自殺しないのは、偶々阿片がスポーツの場合では、心理よりも生理の方に先に効くので、それだけスポーツは「健康」で「健全」であるからに過ぎない。
 これはまだ良いのだが、このアヘン的効能が社会的に利用されると、色々な結果をもたらして来る。かつてはスポーツを体育[#「体育」に傍点]と称して奨励したが、そういう「体操」は段々人気がなくなって、剣道柔道というようなもっと「精神的」な武士らしいものが公認となり、やがて一寸下等になっては相撲が台頭し、それからいわゆるスポーツとして野球が絶対王権の玉座を占めるに至った。しかしもう野球となっては、ほとんど日本魂がなくなっているから、それに対抗
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