しいといいながら、本を読んだり物を書いたりしていないと落ちつかないらしい。サラリーマンは退屈だ退屈だといいながら、仲々愉快な暇つぶしをやっているようだ。自分の行動形式が結局一等好ましいものだということを、義理にも正直にいい触らさなければならない者は、恐らく、信仰家と呼ばれる宗教専門家だけだろうと思う。――ひとり宗教的信仰に限らず、政治上の奔命もビジネスも読書や著述も、一種の耽溺三まい[#「まい」に傍点]境を用意している意味で、どれも薬品的な阿片的な効果を有っているのである。
スポーツも亦この意味で、他の行動形式と同様に、一つの阿片であって、特にそれが生理的な効果にもっともよく結びついているだけに、宗教的自己高揚よりも、もっと阿片的だといっても好いかも知れない。だが宗教が民衆の或いは寧ろ無知な市民や農民の、阿片だとすれば、スポーツは中層市民の、或いは特にインテリ市民の阿片なのである。
心理的興奮や生理的興奮が、瞬間、楽天的な世界観を伴うことは、たとえそれが不健全な現象である場合でも、それだけでは少しも非難に値いしない。自分自身でスポーツをやって見れば、少なくともそれがどんなに愉快な、
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