、この教育的効力なるものは信用ならぬ。処で一体中学校では、吾々が日常生活しているこの社会の産業や経済の基本的な常識をどこで与えて呉れるか。人間の科学的思想の点で活きた好さを一体どんな教師が生徒の胸にたたき込むか。文学的頭脳や読書法が誰が授けて呉れるのか。無意味に瑣末な歴史的トリビアリズムや、地理学的雑多や、方程式の解法の形式的な習得や、真理への興味を殺すための修身や、卑俗なブルジョア社会の通念を尤もらしく見せる公民科、などしか、そこにはない。――中等学校で本当に教育されるものがあるとすれば、夫は全く、例外に自分自身を教育し得るような、すぐれた素質の生徒だけだ。あとはただ五年なら五年という年限の来るのをブラブラと待つだけなのである。
こういう中等学校などは早く切り上げて、もう少しは生きた人間的教育や又少なくとも専門的教育を施すような上級の学校にサッサと這入って了った方が、確かに教育的効果が絶大と云わねばなるまい。そういう点で私は、中学校の本質が今日のようである限り、五年よりも四年、四年よりも三年の方が望ましい年限だとさえ考える。――中等学校が入学試験の予備教育であるかのような観を呈して
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