このブルジョア・アカデミーの延長と見ていい。一方フランスの宮廷貴族達は虚栄心に充ちた芸術の消費会議所ともいうべきサロン又はシャンブルを持った。今日のブルジョア芸術のサロン又はアカデミーは之からの変質と見ていい。尤も学問界では現在、大学と呼ばれるものとアカデミーと呼ばれるものと区別されているが、その区別の要点の一つが、学生を有っているかいないかにあることは、今特に注意に値いする。
現代ブルジョア大学は元来、学職ギルドと教権批判の自由(大学の自治と・学の独立)の名義を帯びている点で、中世的大学と初期商業ブルジョアジーのアカデミーとの総合という、形式上の資格を持っている。処で教権批判の初めに当ってこそ、この学職ギルド組織は欠くことの出来ない実行的組織であったのだが、強権批判という当面の課題が重大性を失い始めて教権批判の自由が一般的な批判や学の自由にまで抽象化されると、この学職ギルドの実行的組織としての価値が消滅し始めるのである。つまり充分に発達したブルジョア社会に於ては、大学という学園乃至学団組織は、批判の自由や学の独立を護るための実行的組織としては、殆んど無力とならざるを得ないのである。
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