だ。之は帝大教授の一種の学術的実力(有態に云って一般に帝大の教授の方が私大の教授よりも今でも少し学究的に水準が高い)と相俟って、一種の自信を、少なくとも過去に於ては産み出した。と同時に、官僚的政府的支配は帝大に対してヒエラルヒーを通じて間接にしか伝達されないということもここに関係している。――処が私大には実際上教授団のそうしたギルド的抗争組織は発達していない。私大の法人の理事である私大経営者乃至企業人は、教授に対して直接に又各個にさえ交渉を有つことが出来る。私大教授が大学当局に対する態度は、帝大教授が大学当局或いは寧ろ文部省当局に対する態度に較べて、決して尊敬すべきものとは見えない。
教育営業の意味を何と云っても脱することの出来ない私立大学は明らかに一つの利益団体である。この学校会社の最後の株主は、仮に各人の持株の数は少なくとも、所謂「校友」乃至「先輩」なのである。大学当局者はこの「校友」の代表者であり、学生はその候補者であり、教授は自身校友でない限り一時的な使用人である。ここから特別な「愛校心」が産まれたり、又勇敢な「応援団」が出来上ったりするのである。私立大学生にとっては、仮に自
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