く知っているが)。でこうなると、カフェーはやがてダンス・ホールと全く同じ運命を辿らなければならぬということは、決定的に明らかだ。
 さて今度は学生とカフェーとの問題だが、一方学生の社会的な弱り目につけ入り、他方カフェーの社会的不評判につけ入るとするならば、夫は全くたやすい企てでなければならぬ。すでにダンス・ホールに就いてはこの企てが着手されている。ダンス・ホールから学生を閉め出すことは、云うまでもなくダンス・ホールの弱みと学生の弱みとに同時につけ入る一石二鳥の試みだ。全く同じことがなぜカフェーに就いて不可能なのか、その理由を知るに苦しむ、とそう保安部長乃至保安課長が考えねばならぬことは、人性の自然ではないか。
 学生業もカフェー業もすでに云ったように、「弱い商売」なのだ。と云うのは、之をいくら抑えつけても、世間が初めから之を白眼視し冷眼視しているか或いはしているような顔をしている以上、大丈夫世間から骨のある抗議は結局出て来る筈がないのである。尤も弱い商売にも色々あって、弱い商売でありながら仲々強いのもあるわけで、青楼などがその好い例であることはよく知れている。娼妓が自由廃業する際の楼主
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