側と警察側との之までの多くの場合の関係を見れば、この弱い商売がどれ程実は強い商売かが判るが、カフェーももし大カフェーとして顔を売って顔役を出すようになれば、それは必ずしも弱い商売ではなくなるだろう。現に大カフェーの要求は警察側の学生閉め出し要求と、一致を見出していたではないか。――すると本当にいつまでたっても弱い商売は例の学生業の方になるわけで、それでなくても学生の要求の最も大きなものが警察側の要求と一致しない場合が多いのに(学生運動を参考)、そしてその点で元来学生は非常に「弱い商売」人だが、それが又ここでも、この要求の別な低級なはけ口に於ても、「弱い」商売人であることが判ったというわけなのである。
 だが弱い商売は弱い商売として、なぜ、どこから、その弱みにつけ込む必要[#「必要」に傍点]が生じて来るのだろうか。尤も馬鹿を馬鹿にするのは自分を賢明にするに必要なことで、夫が道徳というものの一種の意味でもあるのであって、学生などというこの弱い商売につけこむことが、官吏の立身出世の種になり、夫が又社会の道徳のためにもなるなら、風紀警察上、或いは思想警察上から云ってさえ、之ほど結構なことは又と
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