子供臭くなったとも云われているが、泣く児が悪まれるように、それが、益々彼等の社会的冷遇の理由にさえなっている。
昔の書生は、新興支配階級の幹部候補者として養成されたものであったから、初めから一定の社会的役割と使命とを持っていた。それは自他とも許していたことなのである。たとい実際眼の前にいる書生は貧相でも、彼等は可能性に於ては立派な支配者の列に連なるものなのだから、社会的に或る一種の重きをなすことが出来た。尤もこの現実の貧相と可能的な偉さとの妙な対比が彼等を一類型のカリケチュアに仕立てたが、それは寧ろ人気者がもつカリケチュアの類であった。
だが彼等はやがて幹部に列するものではあるのだが、併し何と云っても一個の候補生に過ぎない。現実社会の一定の必要に対応している限り彼等の社会的地位は一人前の大人並みのものだが、併しまだそれの未熟者だという意味では単に子供で半人前に過ぎなかったのだ。そこで彼等に対しては、社会から来る制限が、丁度貴族の而も坊ちゃんに対するように二重にルーズであり得たので、この特典を利用して、書生は思う存分、食ったり飲んだりあばれたりすることが出来たのである。
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