うことは、もうどうでもよくなって、教授とは就職関係でつながりを保つ方が必要なのだ。処がそういうことがやがて、教授の学問言説そのものにひかれる心境と一つなのである。
 最近の学生は総じて教授や大学当局に対して、以前ほど批判的ではない。之は学生の社会的役割が低調になったと共に、同時に又、教授や大学そのものの社会的重大性が著しく減じたからでもあるのである。事実今時若いくせに大学の先生になろうと願っているような人物には、大した人物はいないのである。今日の大学教授は一介の俗吏の相当の地位にあるものに、頭から敵《かな》わないのである。実力から云っても社会の信用から云ってもだ。私は新築地劇場で「流れ」という芝居を見たが、劇としてはどうもあまり面白くなく幕が降りても拍手がバラバラだったが、併し一個処、妙に気取った紳士が出て来て、それが「大学の先生」だということが判った時には、一同声をあげて笑いこけた。大学の教授が今日の民衆から如何に漫画化されて見られているかを、私はツクヅク感じたのである。
 大学、教授、学生が、それ程社会的なインポータンスを失いつつある時、この一連のものがお互いにいたわり合うことは無
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