化的な役割を現実に社会の内に持っているのであって、今日の評論雑誌の真面目なものは、依然として学生をその最大の顧客としているのである。今日の学生にも、矢張り明日というものがあるのだ。ただそれがそんなに手取り早くないというまでであり、従ってオポチュニストにとっては根が続かないというまでで、こういう時にこそ、確実な分子とオッチョコチョイ分子との本質的な区別が眼に見えて来るものだ。
興味のあるのは学生と教授との関係である。教授の授業は面白くないと云って学生は相手にしないというようなことが云われているが、学生生活の張りのあった時期にはたしかにそうだったのだが、現在では必ずしもそうではないのである。今日の学生は案外神妙に教授の言説に関心を持っているのではないかと思う。少なくとも以前のように教授を真向から批判しようという気持ちもなし、批判の必要も本当には感じていないのではないかと思う。口ではツマラぬツマラぬと云いながら、一体どこがなぜツマラぬのか判らないのが多いようだ。結局社会的に何が真実であるかを知っているものが少なく、従って教授のどこがクダラないのかを比較によって知る術べがないのである。そうい
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