ことについてであった。私はその論文で、道徳の観念を四つに分けた、第一は世間の通俗常識による道徳観念で、大体修身によって理解されるものであり、第二に倫理学的観念で、ブルジョア倫理学や実践哲学などで考える道徳である。この二つがどれも科学的な道徳観念でないということは、道徳を社会科学的に考察して見ればよく判ると思うので、従って唯一の科学的な道徳観念は社会科学的道徳観念だと考えた。之が第三の観念である。
 この第三の観念によると道徳は生産機構に基いて発生し、そのことによって独自のイデオロギーとして道徳価値感を生む処のものだが、夫はつまり道徳の発生と本質と意識とが階級的な実質のものであるということを意味するに他ならない。理論的・論理的・科学的な認識が階級的に一種の歪曲を必要とする時、夫が道徳という形を取るのであって、真実か否かの問題が、善いか悪いかの問題に引き直されて片づけられるのが、道徳の社会的役割だと考えられる。この意味から云う限り、道徳とは認識の不足そのものをしか意味しない。階級的分裂が消滅する社会に於ては、かかる不合理な本質を持つ道徳も亦消滅するだろう、と云わざるを得ない。
 だが之で凡
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